株式会社 橋本商会

会社案内

TOP > 会社案内 > 沿革

沿革

 弊社は、初代橋本雄造が明治維新で中津藩の藩士を辞めた後、新天地を長崎に求め「中津屋橋本商店」として1872年(明治5年)に産声を上げて以来、2022年で創業150年の節目を迎えます。
 初代は、トーマス・グラバーからサルベージ技術を学び、大型沈没船引き上げで大成功をおさめ、その後「よろず金物商」として洋鉄類の輸入販売を始めました。社史をひもといてみますと、歴代の社主はそれぞれ時代の流れに対し常に敏感で、弊社の軌跡は「企業変身の歴史」だったように感じられます。以来、業容を時代に適応させながら経営の多角化を図り、戦後は、原爆で荒廃した中から「鉄の橋本」として復活し、激動の時代を乗り切って参りました。
 十数年前から大幅に軌道を修正し、「技術情報商社」として新たな展開をしております。また、弊社グループ独自のハイテク技術と情報収集力を駆使し、二十一世紀に於けるあらゆる環境の変化に適応できるよう努力致しております。今後とも一層のご鞭撻をお願い申し上げます。

明治維新 創業者 橋本雄造は中津藩士として参勤交代の江戸詰め中に維新を迎え、商人を志して長崎へ下る。
橋本雄造は長崎のドイツ商会で商売の修業をし、4年後には同館支配人となる。
明治5年3月 橋本雄造は長崎市江戸町に金物商として中津屋橋本商店を創業し、洋鉄・洋釘・船具及び機械類の輸入、古鉄類の売買、船舶の解体等を行う。
明治18年 平戸港外で沈没したオランダ船を英国人トーマス・グラバー氏の指導のもとに、引揚げに成功する。(日本に於ける沈没船引揚げ第一号)
明治21年 台風により五島黄島沖に沈没したフランス汽船スローエン号3,000トンの引揚げ成功によりサルベージ技術を確立する。
明治30年 橋本辰二郎が二代目社長を継承する。
明治38年 旅順港内で港湾閉塞のために自沈したロシアの艦船の過半数を軍命により引揚げる。
大正元年 トロール漁船3隻により水産業にも進出。
大正3年 第一次大戦勃発と同時に、神戸市明石町を本社とする福洋汽船株式会社を設立し、海運業に進出する。(大黒山丸9,000トン・大日山丸9,000トン・遠加丸10,000トン・茂木丸9,000トン)
大正10年12月 橋本行正が3代目社長に就任する。 組織改革を行い、橋本商店より株式会社橋本商会(資本金500,000円)とし、取扱品目を工業用資材・土建用資材等にひろげ、その販路も拡大する。
昭和14年11月 古鉄部門の業務拡張(朝鮮・台湾方面よりの屑鉄輸入等)にともない同部門を株式会社橋本商会から、別会社として分離独立させ、株式会社橋本商会古鉄部(資本金195,000円 社長/橋 本和太八)として発足させる。
昭和20年1月 販売部門のほかに鉄材の鍛造機械部品の加工・製造部門として橋本商会鉄工部を新設する。
昭和21年3月 三菱製鋼株式会社の製鋼原料である屑鉄の一手納入者の指定を受け、戦後の国土復興に尽力する。
昭和31年11月 株式会社橋本商会古鉄部は鋼材及び新商品の成長につれて取扱品目が多角化したため、社名を橋本商事株式会社(資本金30,000,000円)に変更する。
株式会社橋本商会も遂年発展して資本金6,000,000円となり営業活動は関西・関東に及ぶ。
昭和32年10月 業容の競合回避と経営効率化のため、橋本商事株式会社が株式会社橋本商会を合併して、新生株式会社橋本商会(資本金36,000,000円 社長/橋本和太八)となる。
昭和33年 鋼材需要の増加に対応するため茂里町現場事務所に浦上営業所を開設し、内部体制を整備する。
昭和41年8月 長崎市の繁華街、油屋町に地上5階地下1階の総合ビルを建設、傍系である橋本ビル株式会社として、貸室業及び不動産業の経営に進出する。
昭和43年 システム販売の充実を計るため、一般機械、電子応用装置の開発設計及び製作を目的として株式会社中央技研を設立。
昭和48年11月 創業100周年記念式典を挙行する。
昭和49年12月 北九州市小倉北区緑ケ丘町に北九州出張所を開設する。
昭和51年2月 資本金を104,000,000円に増資する。
昭和51年6月 タイヤの販売及び修理を営業とする橋本産業有限会社を設立。その後設備の増設に伴い駐車場を経営。
昭和51年11月 損害保険代理業を分離して橋本総業株式会社として発足。その後営業品目を拡大し、金融業、産業建設機械器具及び車両のリース業並びに古物商を経営。
昭和51年12月 長崎市目覚町に橋本有料駐車場(地上5階、収容能力150台)をオープン。
昭和53年7月 造園業の需要増加に対処するため、橋本緑化産業株式会社を設立し、橋本ビル株式会社の緑化事 業を継承させるとともに緑化コンサルティング業、樹木・花木・果実の栽培等にも事業を展開する。
昭和55年4月 時津第7工区(11,334屐砲忙務所・倉庫・工場を新設して、鋼材部・原料部・鉄工部を統合し、鉄鋼事業部として発足させる。
昭和57年9月 有限会社橋本技研を株式会社中央技研と社名変更するとともに、組織を強化し研究開発の一層の充実を図る。
昭和59年9月 創業110周年を記念して本社ビル(地上8階)及び別館(地上5階)を竣工。
昭和60年4月 隣接地に本社ビルより直通出来る大型有料駐車場(地上8階 収容能力250台)をオープン。
昭和60年7月 旧本社ビル跡地に橋本商会第2ビル(地上5階)を竣工。
昭和61年4月 橋本 寛が第5代目社長に橋本和太八が会長に就任する。
昭和61年7月 システム営業強化の為電力通信、電源装置、自動制御装置等の設計・製作及び施工を目的として有限会社青友電気を傘下にする。
平成1年3月 店装業大手の株式会社船場との共同出資により橋本商会第三ビルに、株式会社ナガサキ船場を設立。
平成2年2月 福岡営業所を開設。
平成2年10月 時津製造部に自動化機器・省力化機器の組立能力拡充の為工場建屋を増設する。
平成2年12月 自動化機器・省力化機器の組立能力強化の為、諌早市津久葉町の工業団地に諌早工場を新設。
平成5年7月 福岡営業所を福岡支店に昇格。
平成7年4月 時津製造部に大型自動化機器の組立能力拡充の為工場建屋を増設する。
平成9年2月 東京営業所を開設。
平成9年4月 福岡支店天神事務所を開設。
平成9年10月 福岡支店を天神に移設。旧福岡支店を山王営業所に改称。
平成11年10月 青友電気と時津製造部を合併して有限会社ピーエヌ機電を設立
平成14年12月 福岡支店と山王営業所を統合。中央区長浜に移転し、福岡支店とする。
平成17年4月 開発営業部を新設する。
平成17年6月 資本金を150,623,000円に増資する。
平成18年4月 橋本博文が6代目社長に、橋本 寛が会長に就任する。
平成19年11月 ISO14001(環境マネジメントシステム)を認証取得する。
平成24年4月 企画推進部を新設。
平成26年4月 東京事務所を開設。